2014年



ーー−6/3−ーー 二つの変更 


 
 最近になって、仕事に関わる表記で変更したものが二つある。一つは「手作り木工家具→創作木工家具」もう一つは「大竹收→大竹おさむ」。

 自分の仕事のスタイルを、量産家具から区別するための、最も適切な言葉は「手作り木工家具」であると信じてきた。拙書の中にも、そのように書いた。ところが、同業者の中には、そのような言葉が嫌いな人も多い。機械を使って加工をするのだから、手作りという言葉は誤解を与える。手作りと言うと、素人のような、初歩的なイメージがあり、プロっぽくない、等々。そういう見方があることは知っていたが、名刺をはじめ全ての宣伝媒体に、「手作り木工家具の大竹工房」を使ってきた。私なりのこだわりがあったのである。

 先日の東京の展示会において、若い知人が会場入り口に置いてあったDM(案内状ハガキ)見て、「この創作木工家具展示会というネーミングが良いですね。よくある手作り木工家具などというとダサいけど、創作家具ならオシャレです」と言った。私がその脇に置いてあった名刺を指して「名刺は手作り木工家具になってますが・・・」と言うと、若者は「それはそれで、表現のバリエーションとして良いのではないですか」と言ったが、ちょっと慌てたようだった。しかし私の中には、創作木工家具と手作り木工家具の、表現上の違いが、今さらながら妙に気に掛かった。

 また、つい先日、木工業者が集まる会があった。会が終わった後、見知らぬ年配の男性が近寄ってきて自己紹介をした。木工所の代表と言う名刺を出した。私も名刺を渡したが、その時に男性の口から出た「手作り家具ですか・・・」という言葉が、また妙に気に障った。相手に他意は無かったのだろうが、私自身として、かなり違和感があったのである。

 これら二件の出来事を契機として、木工家具に冠する言葉を、「手作り」から「創作」へ変更することを思い立った。当人がいくら「手作り」を気に入っていても、世間がそれを理解してくれなければ意味が無い。そんな事は百も承知だったが、何かのきっかけがなければ、なかなか変えられないものである。こだわりとはそういうものだ。この変更を家族に相談したら、肯定的な意見だったので、実行することにした。名刺、レターヘッド、名入り封筒、梱包札そしてホームページのタイトルなど、全てを変更した。

 さて、二つ目の変更点。私の名前は「收」という字でおさむと読む。これは旧字体で、現在では「収」という字である。戸籍上この旧字が使われているので、私は必ず「收」と書くようにしてきた。これがなかなか正しく読んで貰えない。「マキさんですか?」などと聞かれることが多かった。また、電話などで説明をするのも厄介だった。「収入の収と同じ字ですが、旧い字で、右側が又ではなくぼくにょうです。ぼくにょうというのは、牧場の牧の右側です」などと説明しなければならなかった。

 本名としてはこれまで通りとするが、ビジネス・ネームとしては、間違いようのない「おさむ」にしようと思い付いた。

 ひらがなで書くと、印象が丸くソフトになる。とかく硬いイメージが私には付きまとうようなので、この変更は親しみを増す効果があるように思った。そういえばだいぶ前に、ある霊感に富んだ染物作家の方が、「收という名前は悪くないが、ひらがなにした方が良い」と言っていたのを思い出した。

 名前の表記で人生がどうなるものでもないとは思うが、こういうチャレンジも、ちょっとした変化をもたらしてくれそうで、楽しみだ。




ーーー6/10−−− ラジオ出演顛末


 5月の初め頃、一本の電話があった。相手はNHKのディレクターと名乗った。ラジオ番組に出演して欲しいとの依頼だった。突然のこういう話には、多少なりとも戸惑うものである。しかし、しばらくやり取りをしているうちに、間違いのない話であることは察せられた。番組は録音で、向こうから取材に来てくれると言うことだった。それなら負担が少ないと思い、了解した。

 番組は「ラジオ深夜便」という夜中の番組で、私が登場するのは明け方の4時過ぎから40分程度の「明日へのことば」というコーナーだと聞いた。なんだ深夜番組かと、最初はちょっとがっかりした。ところが、ネットで調べてみると、この番組はかなり聴取率が高いという事が分かった。同じ時間帯の、他局の番組の聴取率を合計しても及ばないらしい。聴取者は300万人に及ぶという説もあったが、これは大袈裟だろう。

 なぜ私にこの話が来たか。ディレクター氏によると、拙書「木工ひとつばなし」を読んで内容が気に入り、著者に番組で語らせようと思い付いたとの事。驚いたことには、本を読んだのはほんの三ヶ月前ほどで、しかも出張先の仙台で立ち寄った書店で、たまたま目にして読んだのだと言う。私が言うのも何だが、いまだにこの本を置いている書店があったと言う事だけでも、驚かされる話であった。

 録音当日になった。予定時刻だいぶ早くディレクターが現れて、ちょっと慌てた。思ったより年配の方だった。工房に案内したら、手際よく録音機材のセッティングを始めた。準備が整ったところで、どのように進めるか、簡単な打ち合わせをした。

 私は過去に二回、ラジオ番組に出たことがある(2007年2月と2009年5月、過去のマルタケ参照)。その経験から、トークに際して、それなりの心構えがあった。一つは、ラジオの向こう側の聴衆を意識せず、目の前のインタビューアーに向かって話すということ。もう一つは、いつもより大きな声で、ゆっくり目に喋るということ。その事を伝えると、ディレクター氏は、「雑談をするような感じで良いです」、「マイクの性能が良いので、無理に大きな声を出す必要はありません」、「早口でも構いません。喋るスピードが速くて聞き取り難いというのは、間合いが短い場合です。私が適宜合いの手をいれますから、いつも通りで良いと思います」など、いかにも専門家のアドバイスを下さった。

 そして、この番組のリスナーはほとんどが年配者であり、聞き流す程度の話で良い事。難しい内容は避け、中学二年生でも理解できるような内容が好ましい事、などを付け加えた。この、「中学二年生でも」という言葉が、妙に印象に残った。ともあれ、そのように言われて、肩から力が抜け、ラクになったように感じた。また、録音は十分の一秒の単位で編集できるので、「仮に、てにをはを間違えても修正できるから大丈夫」と言われた。私を安心させる為のアドバイスだったろうが、それも気を楽にさせた。

 録音は順調に進んだ。途中、外部の音が入ったため、カットする部分が生じたようだが、それも含めて45分ほどで収録を終わった。番組の進行に関しては、あらかじめレジメを貰っていた。それに合わせて話の準備をしていたので、戸惑う事も無く、スムーズに進んだ。それでも、台本を読むわけではないので、アドリブ的な要素は大きい。そんな中、話題の展開が上手く運び、ツボにはまったと感じた瞬間が、何度かあった。それはディレクター氏の表情に見て取れた。眼が「そうそう、それですよ!」と言っている。そういう体験が、なかなかスリリングでもあった。

 ちょっと面白かったのは、外部の音が入っても、中断しなかった事。「今外の音が入ってます」とコメントを挟むだけで、録音は継続された。また、一応終了した後も、「言い足りなかった事はありますか?」などと話しかけながら、録音は続いた。そして、最終的にやり残したことが無いと確認されてから、録音スイッチを切った。まあ、いくらでも編集できるのだから、続けて録音をしても問題無いのだろう。しかし、素人の私にとっては、本番以外の部分も録音するというやり方には、いささか驚いた。

 6月5日の未明、家内と長女と三人で、4時前に起き出して番組を聴いた。ラジオで聴きながら、ラジカセで録音をした。さらにスマホで予約録音もした。夜が白み始めるころ、何とも言えない緊張感でラジオに聞き入る家庭のシーンは、外から見れば変なものだったろう。

 聴いた印象としては、想像したよりも良かった。言葉ははっきり聞こえたし、話の内容も上手く進めたと思う。ただ、反省点としては、相手が話している最中に、合いの手を入れたのだが、それが被ってしまって、ちょっと聞き苦しいところがあった。合いの手を控えて、黙って聴く時間を長くした方が良かったかと思う。会話を盛り上げるために、良かれとしてやった事が、裏目に出た感じとなった。

 番組の反響は、自分としては驚くほど大きかった。終了直後から電話が鳴った。その日は何通もの電話を受けた。北は青森県から、南は鹿児島県の方からお電話を頂いた。それらの人々は、NHKに問い合わせて、我が家の電話番号を聞いたようだった。「共感を覚えた」、「感動した」、「聴いていて涙が出た」などの感想を頂いた。また、ネットでの反響も大きかった。ブログのアクセスは、普段の3倍を越えた。ホームページのアクセスは、いつもの6倍くらいあった。早朝の時間帯とは言え、さすがは全国放送の番組である。しかもメジャーと位置付けられている番組。その影響力を、まざまざと感じさせられた。

 自分が話したこと、それが多くの人々の心に響いた、という感触は、とても嬉しいものだった。それは、普段の仕事で感じる充実感ともちょっと違った、新鮮なものであった。出演料は出すが、わずかな金額で申し訳ないとディレクター氏は言った。しかし金の問題などではない。このような機会に恵まれたことを、私はとても有り難く感じ、感謝をした。




ーーー6/17−−− 創造の源


 先日の東京新宿「ラ・ケヤキ」での展示会に、ある親子連れが来た。近くに住んでいるという母娘。娘さんが木工に関心を持っているとのこと。新聞情報を見てのご来場だった。

 長い時間をかけて作品を見て下さったが、そのうちに母親が「デザインの勉強はどこでされたのですか?」と聞いた。私が、デザイン学校などに通った経験は無い、と答えると、ひどく驚いたようだった。そして、「専門的なデザインの勉強をしないで、こういう造形ができますか?」などと追及してきた。私は、「ええまあ、そういうことです」と言うしかなかった。

 以前知り合いの工業デザイナーの方から聞いた言葉で、印象に残っているものがある。デザイナーの優劣は、代案をどれだけ出せるかで決まる、と言うのである。画期的なデザインが出来るかどうかは、別の事らしい。デザイン学校に通う事で、画期的なデザイン能力が身に着くのなら、世の中に画期的なデザイナーが溢れてしまうだろう。しかし現実には、そんな事は無い。

 1997年に蓼科の山荘で展示会をした時に、カメラメーカーでデザイナーをしている人が、こんなコメントをくれた。「あなたの作風は、教わって身に着いたものでは無いし、勉強して身に着いたものでも無い。あなたはこれからも、デザインブックなどを見る必要は無いでしょう」

 教わらなければ身に着かないという事もあるだろう。しかし、自然と身に着くものもある。日本人は、英語の勉強をしなければ英語が喋れないが、英米人は小さい子供でも英語を喋る。

 学生時代に一時お世話になったことがある、ロボット工学の権威と言われた東工大のM教授は、ある講演会でこのように話された。「創造的な仕事に携わる人は、一見徒労と思われるような行為、何の見返りも無いような行為を進んでやるのが良い。例を挙げるならば、登山のようなものが良い」

 音楽学校の指揮科と言えば、特殊でエリートな世界らしい。しかし、指揮科を出れば、一流の指揮者になれるというわけでは、もちろんない。世界で一流と言われる指揮者のところに押しかけ、一緒に時間を過ごす。そして、日常生活の様々な局面で、マエストロがどのような物に対して興味を持ち、どのように反応し、どのように対処するかを見届ける。そのような事から始めなければいけないと聞いたことがある。

 創造は、学校で教わるものでは無いのである。





ーーー6/24−−− 毛虫の生きざま 


 このところ、毛虫が大量発生である。マイマイガの幼虫だという。昨年から市の広報誌などで警戒情報が出ていたらしいが、我が家は気が付かなかった。もっとも気が付いていても、どうしようもなかったろう。近くの林に入ってみれば、気味が悪いほど毛虫がぞろぞろ。人間の力で予防できるものではないようにも思われる。

 いたずらに殺生をするつもりは無い。しかし、梅、栗やブルーベリーなど、実の収穫を楽しみにしている木の場合は見逃せない。実が付いている木には、殺虫剤を使うのも嫌なので、一匹一匹火バサミで捕る。それを地面に落として、足で踏み潰す。地面に雑草が茂っている所は、踏み潰しにくいので、バケツに張った洗剤の溶液の中に落として殺す。多い日は300匹ほどをやっつけた。一匹残らず退治したつもりでも、翌日にはまた何十匹も姿を現した。

 木の葉に付いた毛虫を、火バサミで捕るのはちょっと難しい。火バサミの先が効かないと、摘まめない。そこで、火バサミの先端を鉄鋼ヤスリで削って形を整え、ピッタリと合わさるように調整した。そうしたら、捕りそこなって落とすことが少なくなった。やはり道具の仕込みは大切である。

 ところで、火バサミが触れた時の、毛虫の反応には二種類あるようだ。火バサミで挟んで引っ張った時に、必死で枝にしがみ付くタイプがいる。中には、しがみついたまま、体がちぎれてしまうものもあった。いくら全力でしがみついても、人間の力に対抗できるはずはない。身を守りたい一心なのだろうが、そのけなげさはいささか的外れで、悲しさを感じさせるものがあった。

 それに対して、いともあっさりと手を(足を)放してしまうものもいる。幹に止まっている毛虫は、一発でガッチリと掴めるので、勝負は一瞬で決まるが、細い枝や葉に付いた毛虫は、火バサミで掴みにくい場合がある。そんな場合、火バサミをこねまわすように動かすのだが、火バサミの先が触れただけで落ちてしまう虫がいるのだ。落ちた所が土やアスファルトの上なら、二次攻撃でやっつけるが、草むらに落ちると、姿を見失うことがある。探しても見つからない場合は、諦めざるを得ない。すると毛虫は、生き残れるというわけだ。

 あまり頑張らない方が、かえって生き残れると言うのは、なんとも皮肉である。







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